アイマスク体験は慎重に!!

掲載日:2009年10月30日

更新日:2014年10月12日

「見える人が、アイマスクをして歩いてみる」ということは、見えない状態の本質的理解につながりにくいことと考えられます。

◆ 見える人が突然視覚遮断された状況と、見えない状態で生活している人とはまるで違います。

「見えない人の理解」というと、「アイマスクをつけての歩行」を行っているところが多くあります。
右手左足、左手右足を交互に出すことが「歩行」と考えていませんか?

見えない人は歩けるのだから、「見えないことを理解するためには、アイマスクで視覚遮断をして歩けば分かる」と考えていませんか?

見えている人は、足を交互に出しているだけで歩いているわけではありません。
今歩いているところは、歩道なのか車道との区別がない道なのか、どれだけの道幅があるのか、その道幅のどのあたりを歩いているのか、電柱やポールがどこにどの間隔であるのか、どんな人がどの方向に何人ぐらいどんなスピードで歩いているのか、など大量の視覚情報を、気付かないままに入手して気付かないままに処理して歩いているのです。

見えない・見えにくい人は、視覚情報不足の中で日常生活を送っています。
結果、視覚以外の情報を有効に使えるようになります。
それにより、見えない・見えにくい人は誘導者と一緒に歩くだけで多くの情報を得ることができ、安心して歩行ができることになり、そこに「歩行の不自由がなくなる「つまり「歩行に関する情報不足という障害」が大幅に軽減される(なくなる)のです。

これは、見える人がアイマスクをして視覚を遮断された状態で歩くこととは全く違います。

人が外界から収集する情報の80%以上は視覚から得ると言われています。
人は必要な情報が十分に得られないと、不安を感じます。
座っていて動かないで安全な状況であるときさえ、アイマスクをすると、今まで確認できていた周囲の状況が視覚から入らなくなるために「怖い」という感情が起こります。
まして、「歩く」ということは身体を移動させることであり、そのために通常は膨大な視覚情報を得て行っている動作ですから、突然視覚をふさいだ状態で「歩きましょう」と言われることは、とても不安なのが当たり前です。怖くて当たり前です。何もできなくて当たり前です。

見えている人がアイマスクをつけることにより、外界から得られる視覚情報の80%を遮断される。その慣れない環境の中で、今まで気付かないまま処理してきた情報(*1)に気付き、それを有効に利用できるほど「アイマスク歩行」は簡単なものではないと言っても過言ではありません。
(*1)周囲の音(聴覚情報や空気の動き(触覚情報)などの、見えない人が有効活用している視覚以外から得られる情報

次のような感想が出るのも「アイマスク歩行」を簡単なものと考え、実施した結果と考えます。

ある小学校でのアイマスク歩行体験の感想より抜粋

○ アイマスクをすると、隣で友達が誘導してくれていても、ちょっとしたエンジン音でも驚いてしまいます。
○ 目が見えないと、本当に怖かったです。 車にひかれそうだし転びそうだし。目が見えないということは、本当に恐いことだと思いました。
○ 目の前の何かにぶつかりそうな気がして、空中で手を動かして確認しないと前に進めませんでした。
○ 誘導するときには細かいところまで知らせなければならないので、思ったより大変でした。

言うならば、
突然視覚をふさがれて怖がっている児童を、どう声かけして誘導したらいいか、よくわからない児童が誘導する。
誘導する人も誘導される人も、経験という情報不足からくる不安の中で「怖い」と思いながらの体験をすることが、果たして「見えない・見えにくい人」の正しい理解につながるのでしょうか?

◆ 「怖い・できない」といった感覚的印象が残りやすいため、アイマスク体験はおすすめいたしません。

なぜならば、
「見えないと怖い→何もできない」→「見えない人はかわいそう」
そしてこの先には「自分は見えていてよかった」という気持ちから、見えない人への「哀れみの差別感」を呼び起こし、その差別を助長してしまう危険性があると考えられるからです。

特に感覚でとらえたことが強く印象づけられる児童期の子供にはおすすめいたしません。
このような「見えないと怖くて何もできない」という体験だけをしたこどもが、万が一将来失明するようなことがあったとき、
「学校でアイマスク体験をしたときには怖くて何もできなかった。見えなくなった自分はもう何もできない。ずっと怖い世界にいるのだ。もう絶望だ!」
そして、もし、「見えていて良かった」とかつて思っていたとしたら、「見えなくなった自分」は「かわいそうな何もできない人」ということになり、生きることに悲観的になってしまうかもしれません。

どうしてもアイマスク体験をするのならば、
○ 見えない人が日常どう社会と関わっているのかについてのことや、社会のあり方で見えないことが障害とはならないこと(障害とは参照
  当事者から直接話を聞くことを通して理解すること。
○ それを十分に理解している教員が事前事後にサポートできること。
○ 安全を確保し、「怖さ」を最小限にする。着席したまま動かないなど、安心の気持ちを持って行える環境を作ること。
○ 見えない人が日常使う視覚以外の感覚を使い、「できる・わかる体験」をすること。
ということを十分に踏まえて、「突然視覚を遮断した時に起こる怖さという感情に気持ちを絶対に向けない」という工夫を十分にして行っていただきたいと思います。

アイマスク体験をするならば、80%の情報を失った怖さに着目するのではなく、
視覚以外から得られる20%の情報を活用する体験をすることをおすすめします。

もし、この体験が成功の体験として残るならば
たとえ中途失明したときにも「見えないことに対しての配慮があるとできる。足りない情報が補われれば、いろいろとわかる」と希望が持てます。

また大学生や社会人などが、
「突然視覚をふさがれた感情に着目しない」という気持ちのコントロールをした上で、
より十分な時間を使い、当事者のファシリテーターの下で行うことができるならば、
「どんな製品使用ならば見えない・見えにくい人にも使いやすいか(障害はないか)、どんな配慮があれば見えない・見えにくい人にも障害(不便・たいへん)はなくなるか、どんな情報発信の仕方をすれば見えない・見えにくい人にも障害(不便・たいへん)はなくなるか」などに気づく時間として活用してもらいたいと思います。

◆ 社会環境の一員として、
情報が足りないために「困っている見えない・見えにくい人」に情報提供をするには、
「どのように声をかけ、どのように道案内(誘導)などしたらいいのか」ということの
一般的基本的な方法について体験することは望ましいことです。

しかし、先にも書いたように
「突然視覚をふさがれた見える人」を誘導する体験は望ましくないものと考えます。
むしろ悪影響が残ると考えられます。

ぜひ、見えない・見えにくい人を誘導する体験をしてください。

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