アイマスク体験レポート ~一人の小学校教師の実践記~

掲載日:2010年2月2日

更新日:2014年10月12日

福祉体験レポートから

ある小学校で、見えない人を招いての福祉体験の事前学習として、アイマスクをつけた子どもを歩かせるという授業をしていた。

どのような環境で行ったことか、この報告だけでは分からないが、聞く人が聞けばなんという無茶なことをさせたのだという批判の声が上がるだろう。

また、別の人が聞けば、見えないことの理解といえばアイマスク歩行だろう?当たり前じゃないか、ということだろう。

View-Net神奈川は、見える子どもに「アイマスクをつけての誘導体験」は見えないことの理解にはつながらない「おすすめできないアイマスク体験」と考えている。その理由を、私の経験から伝えられたならと思う。

私は、見えない子供の教育・歩行について一通りの勉強をしてきたが、種々の都合で盲学校から小学校に転勤したことのある教員である。20年ほど前のことである。

そのとき、「見えないことの理解」の一環として子どもたちを2人1組にして誘導法の体験をさせた事がある。

アイマスクをしたときの心理状態、情報の取り方の変化等々理解した上で、子どもたちには「(アイマスクをして)見えない」危険性等を伝え、そのうえで見えない人の誘導の方法を体験させた。

ところが、思いもかけない行動をするのが子どもである。「ゆっくり歩く」に対して「突然走り出す」、「見えている友達より前に出てはいけない」の禁止に対して、「友達の前を先に歩く」。「見えている人は2人分の幅を取ること。」に対して、「こいつ(ペアを組んでいた友達)が押してきたからそのまま歩いた」と友達を壁にぶつける。

30人、15組の子どもたちを一人で見ることの危険性を体感した。

小学校のベテランの先生方から見れば、上記のような失敗は、私が未熟なせいで、準備が十分されていなかったからだと批判されるであろう。その通りである。

「視覚遮断されたときの心理的ストレス」とそこから生じる「異常行動」についての判断が甘かったのである。

私は、説明した通りに実践できないのは何故なのかを考えた。その結果、4年生には無理なことを要求していたのだという結論に達した。どこがどう無理だったのか、思うところを書いてみる。

「ゆっくり歩けないで走り出す」、あるいは、「友達より前に出て歩く」。ともに視覚遮断されたための情報不足から、おきた現象と考える。

見えている私たちは、「ゆっくり歩く」は、歩くにつれて流れていく周りの景色の変化により理解している。が、実際には移動という運動に使われる筋感覚でも理解しているのである。

だから、「ゆっくり歩いて」と言ったとき、足の動きをゆっくりとするだろうと思ってしまう。ところが、子どもは(4年生ぐらいまで)、景色の変化という視覚刺激がなくなると、「ゆっくり」の判断をする基準があやふやになってしまうようである。

歩き始めた1歳児がゆっくり歩けないで、勢いで歩いているのと同じ状況になるのだと思われる。

また、「友達より前に出てはいけない」についても「自分」と「友達」を見比べて前後を理解していたとすれば、視覚情報がなくなれば、その判断をする基準がなくなってしまう。

友達の肘を持った自分の腕の形をイメージできて初めて、友達と自分の位置関係が理解できるのである。さらにいうと、「見えない」ことから、側にいる人との距離感がとれず、必要以上に(と見える者は思う)体を近づけ、結果、押してしまうという結果になる。

これは、大人でも言えることである。

「できる子が多いのだから、できない子が変なんだ」と思う方もいるかもしれない。がそれは、大人の悪い癖である。子どもは日々成長している。
が、全員が同じスピードで成長しているわけではない。だから、「できない子」がいて当たり前なのである。ましてや視覚遮断という非日常の体験では、一人一人の性格や運動能力、それまでの経験が大きく影響をしてくるのである。

「友達が押してきたから(あるいは引っ張ったから)ぶつけた」場合も、その人との人間関係に影響していると考えられる。大人は、相手に対して色々思っても、「望ましい行動」が何か分かれば、その行動を取ることができる。

この場合、「ペアの人をぶつけてはいけない。そのためには押されようが引っ張られようが相手に合わせてはならない。」ということである。

ところが、人間関係の「程よい距離感」を体感しつつある子どもたちにとっては、「押される(あるいは引っ張られる)」ことに対して反応してしまい結果、ぶつけてしまう。

アイマスクをつけることによって、奪われる視覚情報。それを補うための他の感覚情報を理解するには、時間と回数を重ねていかなければ難しい。私自身、アイマスクをして白杖を持って歩いた経験があるが、「見えない人はこんな風に周りをイメージしているのか」と分かるようになったのは、30回以上のアイマスク体験をしてからである。

細かなステップをひとつひとつのぼっていって始めて理解できるようになったのである。それを、わずか1回の体験で理解させようというのは、無茶である。

ましてや、成長途中の子どもたちである。「自分」を十分に体得していなくて、「見えない」ことを理解するなど、できるわけがない。

子どもの成長の段階が、その段階に達していないにもかかわらず、「アイマスク誘導体験(アイマスク歩行体験)」をさせるのは「間違ったアイマスク体験」と言わざるを得ない。

子どもたちは、「理解できない、怪我をする、怖い」のは、自分がそこまで成長していないからとは思わない。「見えない」からだと思う。
そう思わせるような指導は、「見えない・見えにくい人の理解」を掲げる授業としてどうなのだろうか?

それでは、子どもたちにストレスが少なく、かつ、見えないことを理解してもらうためにはどうすればいいのか。その試行錯誤の結果たどり着いたのが、本会が提示しているプログラムである。
これが「絶対である」とはいえない。これからも試行錯誤をしていくことと思う。より良いものを目指して。(文 I.Y)

前へ | 次へ