更新日:2014年10月22日

掲載日:2011年9月26日

更新日:2014年10月22日

違いがある人々が、いっしょに暮らせる社会がノーマルな社会であるとはいえ、違いがある人々と豊かに暮らしていくためには、どんな心が必要なのでしょうか。

人の思考プロセスをたどって考えていきたいと思います。
こんなふうに考えられるのではないでしょうか。

★ 本能

人は生命体です。自分が一番大切であり、自分を守ろうとするのがあたりまえです。その結果、他人を蹴落としても生き延びようと考えます。
また、自分のエネルギーを効率よく、自分の生命維持のために使いたいと考えるのもあたりまえです。

ですから、自分と少しでも違う者と関わることを避けるのです。
→排除の差別

でも、人は知的生命体。本能だけで生きている生命ではありません。

★ 感情

人は本能の上に感情を持つ動物です。

悲惨な状況や障害者(心身機能に違いがある人)を見れば「かわいそう・たいへんだな」と思います。
いわゆる「自分よりも下の人」を見ると安心しますし、自分を優位な立場に置きます。

この感情から、
「優位な立場の自分は、かわいそうな高齢者・障害者(心身機能に違いがある人)を助けてあげなくちゃ」という気持ちを持つ人もとても多くいます。
この感情からボランティア活動に入る方々も多数いらっしゃると思います。
人間として、このような感情はだれにでも起こることであり、無関心でいるよりも、一歩先に進めることができるきっかけをつかんだことにはなります。

しかしここで留まるならば、この人は「哀れみの差別感」を持つ人のままとなります。

自分が庇護の対象とする人が、人として当然の権利を主張したり、自分の尺度と会わないことをしたりすると「障害者のくせに」という感情が現れてきます。
これは差別感以外の何者でもありません。

あわれみの差別感

「障害者は貧しくて質素でおとなしくしているものだ」と決めつけている人の前に
○ロックを歌う若い障害者が現れたら、「障害者のくせに派手なことをしている」と。
○居酒屋に障害者がいたら「障害者のくせに酒を飲んでいる」と、
○海外旅行に行きたいという障害者がいたら「障害者のくせに海外旅行なんて贅沢だ」と。
こんな感情を抱くのではないでしょうか。

○健常者の若者が、ロックを歌っても気になるのでしょうか。
○大人なのですから、居酒屋で酒を飲んでもいいですよね。
○海外旅行なんて、多くの日本人が当たり前のように出かけていますよね。

この2つの障害者観(排除・あわれみ)は、障害者(心身機能に違いがある人)を自分とは異なった特別の存在と見る点では共通しており、意識上の障壁そのものと言えます。

★ 知的行動

人は知的生命体です。知的行動がとれるから、心をバリアフリーにすることができます。
(逆に心をバリアフリーにできない原因としては、他者に「感心を持たない・知ろうとしない」ということが考えられます)

○人は「他者を知る努力」を知的働きによってすることができます。
○「相手の立場に立って考える」「他者を慮る」という高度な知的行動は、人だからこそ、とることができるのです。

そして障害(不便・困ること)は「社会環境の未整備のために生じることであり、個人の心身機能の違いにより生じるものではない」と、障害の起因するところをしっかりと押さえることもできます。
全ての人は自分と全く同じではない、違いのある人とお互いに協力し合って人は生きています。

では、違いがある人と暮らしていくには、どうしたらいいのでしょうか。
まずは、今、となりにいる人のことを知ろうとしてみてください。
今、出会った人、自分が今まで知らなかった人のことについて、関心を持って知ろうとしてみてください。
お互いに理解し歩み寄ることで、みんな居心地よく暮らしていけるようになるのではないでしょうか。
「歩み寄る」という作業には、時には我慢することを求められたり、他者のために自分の労力を使うことも求められることだと思いますが、これまたこのようなことは、知的生命体だからこそできることなのではないでしょうか。

「自分の力だけで何でもやってきた。他人の世話になんかなってない。他の人に気を向けるなんてわずらわしい」と考えている人が増えているのかとも思います。

でも、人間、何でも一人でできているの? 何でも自分だけでできるの?
あなたは、だれからも気にされなくていいですか? 仲間はずれにされてもいいですか? 
自分とは違う人がいて、その人といっしょに暮らしているから、いいのではないでしょうか?
自分とは違う人と暮らしているから、何でもできているのではないのでしょうか?
他の人に認められたらうれしいと思いませんか?
違いがある様々な人と暮らしているから楽しいのではないでしょうか?
母親は子供の手を引っ張っている。子どもから「ねえ、何であの人棒を持っているの?」の吹き出し。母親から「危ないからこっち来なさい」の吹き出し。白杖を持つ女性から「私は危険人物?」の吹き出し。
白杖を持つ視覚障害女性、親、子どもの順に並び、子ども側に出た母親からの吹き出しに「目の見えない人が歩くときに使うのよ」「どちらまでですか?一緒に行きましょう」 母親と白杖を持つ女性は誘導の姿勢、親と子は手をつないでいる。

ユニバーサルデザインの心を持つ人ならば
○点字ブロックの上に大きな荷物を置いて、見えない・見えにくい人の歩行の手がかりを奪うような社会のバリアを作る人にはならないでしょう。
○自転車で歩道を猛スピードで走るような歩行者の安全を脅かすことをするような、社会のバリアとなるような人にはならないでしょう。
○駅のエレベーターに、我先に乗り込んで、高齢者・車椅子使用者・ベビーカー等、本当にその設備が必要な人たちの利用を阻害してしまうような、社会のバリアを作る人にはならないでしょう。

人の心からバリアが取り除かれ、「ユニバーサルデザインの心を持つ人」がどんどん増えていくことで、新たな障害が生み出されることなく、真の共生社会が実現されると確信しています。

前へ | 次へ