冊子p14p15 体にある障害と社会にある障害 [障害理解のための冊子の該当ページを縮小して掲載] ==========その内容ここから p14 ●本文: ここまでは直子さんの視点で見てきました。今まで見てきた生活の中で直子さんにはいつも「障害」があったでしょうか。もしかして体に障害がある人に「障害」が作りだされるのは「社会にいろいろなちがいのある人への配慮がないこと」が原因なのかもしれません。 ★上側のイラスト 音の出ない信号機のあるの交差点で直子さんが困っている。直子さんからは「今、青なのかな?」の心の声の吹き出し。 ●本文: 見えないという体の障害はその人の力で乗りこえなければならないのでしょうか。 ★下側のイラスト: 通りかかった中学生が直子さんに声をかけている。(中学生と直子さんのtwo shot) 中学生からは「青ですよ!」の吹き出し。 ●本文: 近くの人が声で知らせたり音響信号機にしたりすれば、何の障害もありません。 p15 足が不自由な人では? のタイトルが付いた囲み   ★上側のイラスト: 車いすに乗った人がレストランの前にある数段の階段のためにレストランに入れずに困っている。 ●本文: 車いす利用者は足が動かせないという体の障害があるので、自分で努力して階段をあがらなければならないのでしょうか。 ★下側のイラスト: 上の絵の数段の階段の一部がスロープになっている(階段とスロープ)。 ●本文: 車いす利用者も使えるスロープやエレベーターがあれば何の障害もありません。 囲みここまで ページの下側 ●本文: 「社会にいろいろなちがいのある人への配慮がないこと」が原因で障害が作りだされているようです。 ==========内容ここまで [以下、解説書掲載内容] 障害(バリア)は、社会のしくみにあるとするのか、個人のからだにあるとするのかで、大きく異なる社会が形成されていきます。 ※表紙裏の表を再度見てください。 [冊子掲載のイラストの解説] p14:目の見えない人に信号の合図が伝わらない原因を明らかにし、その解決法を考える例です。 原因:見えるのが当たり前として作られている信号のしくみに障害があること 解決法:社会の責任で信号に音で伝わるしくみを付加すること 周囲の人の声かけがあること もしその人個人の目の状況を原因とするなら、その人自身の責任で解決しなければならないのです。 p15:車いす利用者が階段の上のレストランに行けない原因を明らかにし、その解決法を考える例です。 原因:歩けるのが当たり前として作られている垂直移動の設備に障害があること 解決法:社会の責任でスロープやエレベーターといった垂直移動のしくみを設置すること もしその人個人の足の状況を原因とするなら、その人自身の責任で解決しなければならないのです。 ===イラストの解説ここまで 個人モデルでは、健常者に近づくことや独力で多くのことができるといった能力主義に価値を置きます。 社会モデルでは、個人に応じた適切な調整(合理的配慮)が提供されることが当たり前となる平等社会を追求 することに価値を置きます。社会における価値の見直しを促していることに注意してください。 また、この「障害の社会モデル」という価値の変更は、これまで日本の社会に存在している「障害者役割」 という社会の障害者に対する価値の押しつけをも問い直しています。 全盲の社会学者である石川准は、パーソンズの「病者役割」(=病気にかかった者は治療に専念する義務を負うとともに、通常の社会的責任を免除される)にならって、「障害者役割」という概念を提示しています。 障害者は「つつましく貧しく」、「障害を克服するために精一杯努力する」ことを周囲から期待されています。端的に言えば「愛やヒューマニズムを喚起し触発するようにふるまうこと」、すなわち「愛らしくあること」を期待されていると石川は言い、そのように暗黙のうちに障害者に期待される役割のことを「障害者役割」と呼んでいます。もちろん障害者に面と向かって「愛らしくあれ」と言う人はいないと思います。 しかし私たちは多かれ少なかれ「あるべき障害者らしさ」のようなものを内面化していることに気づかされます。障害者が「けなげ、ひたむき、前向き」な姿を示していれば――いわば世間の人々の期待に沿っていれば ――平穏無事ですが、そうでないと不協和音が生じます。 「障害者役割」は健常者に都合よく機能します。なぜならこのような「あるべき像」を障害者に投影している限りは、内心ひそかに持つ障害者嫌悪の感情や、それに伴う罪悪感(後ろめたさ)を忘れることができるからです。その像にあてはまらない障害者の姿が偶然目に入った時は、一瞬 嫌悪や同情を感じますが、すぐに忘れてしまいます。 障害者の側からすると、「障害者役割」に適合的なふるまいをすれば受け入れられ、そうでない時は――あるいはそもそも健常者の期待に沿いようがない人は――非難あるいは無視されます。また、健常者のまなざしを予期して、自由な言動をあきらめてしまう障害者もいます。つまり「障害者役割」とは、健常者が障害者に「こうあってほしい」と望み、それが投影されたものですから、まさに非対称な社会関係を映し出す鏡といえます。 『社会の障害を見つけよう』 のスクリーンショット 6.原因の解決:反応ではなく、プロアクティブに行動を起こす 問題が起こったときの対応(Reaction) = 障壁の維持 問題をなくす行動(Proactive Action) = 障壁の削除 → 社会の変革 (略) 例で考えてみましょう。ある店の前に段差があるとします。車いす利用者がそのお店に来る度にその段差を越える手伝いをすること、どうやって段差を越える支援をするかという援助の方法を教えること、これは問題が起こったらどうするか、という反応、対応の行動です。問題が起こってから解決のための行動を起こしています。その行動は起こった問題に対する対処的行動であり、問題の原因を解決するための介入とはなっていません。 それに対して、その段差をスロープに変えること、これがプロアクティブな行動です。プロアクティブな行動とは、問題が起こる前に起こす行動、問題発生の予防とも言えます。 反応は問題状況の原因を解決しません。上の例で言えば、障害もしくは障害の原因である段差そのものを取り去ってはいません。障害者が困難に直面したときに助けるといった行為はもちろん重要であり、そのような行為は奨励されこそすれ否定されるべきものではありません。しかし、そのような反応的な行為のみが「障害に対する行動」として奨励されれば、それは逆に障害(段差があること)を温存させ、それだけではなく、同じような段差が今後ももっともっとつくられていくことにもなります。 『社会の障害を見つけよう』 久野研二 編著 「第4章 行動づくり」 より引用 出版社 現代書館 発行年 2018年 ※テキストデータ請求券付き