見えない・見えにくい人の職業と言えば、50年ほど前までは、あんま・鍼・灸等の三療といわれていました。が、目の見える人たちが同種の職に就くことが増えるに従い、見えない・見えにくい人の職域はどんどん狭められてきました。同じ技術・同じ資格を持っていた場合、見えない・見えにくい人が採用されるよりも、目の見える人の採用が優先されたのです。そのような社会情勢の中で、「見えなくてもできる仕事」探しが始まりました。

1970年代後半からは、電話交換が新たな仕事として、見えない・見えにくい人を対象とした職業訓練と資格取得が始まりました。しかし、通信技術が進歩し、交換手なしで直接係に電話がつながるようになったことや、人員削減のあおりを受けて、この仕事も減ってきています。「社会の情勢に影響されずにできる仕事」、「技術を生かせる仕事」が模索され続けてきました。その中で、法律による「差別」の壁が徐々に撤廃されてきました。
現在、まだまだ職域が広がったとは言えませんが、「三療しかない」時代から、就きたい仕事を「考えられる」時代に少しずつ変わってきています。

三療師

ストレス社会といわれる現代、病気ではないけど体調がよくない人が多いです。
また、事故・怪我の後遺症による不調等体の悩みを持っている人は多いです。そのような人を対象に東洋医学の知識で、不調の改善を行う仕事です。
自分で治療院を開業している人、治療院や病院に勤めている人がいます。
そして、近年増えてきたのは「ヘルスキーパー」です。企業の社員として他の社員の健康管理に貢献します。

施療中の写真 旧冊子から引用
*まだまだ三療に関係した仕事に従事している人が多いですが、少しずつではありますが多岐にわたる職業に従事する道が開けてきています。

教員

理療科(三療の資格を得るための盲学校の課程)の教員に代表されますが、中学校・高校をはじめ大学で教鞭をとっている人もいます。

事務

パソコンと繋がったキーボード(6点入力用)を使っている男性と隣で墨字資料を手に読み上げている女性

画面読み上げソフトを入れたパソコンで事務処理をします。手書き文字など、どうしても読めないものは、アシスタントに読んでもらいます。近年は情報をパソコン上でやりとりすることが多くなったので、見えなくても工夫次第でかなり仕事がしやすくなってきています。

専門職

相談員、プログラマー、弁護士、医師など、専門知識を有する人たちはその資格を得て職に就いている方がいます。音楽家として活動している方もいます。会社の社長もいます。

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本会は、もともと神奈川県視覚障害者の雇用を進める会として、1977年5月7日結成されました。
当時の横浜市立盲学校理療科の学生の要請に応え、全国に先きがけて結成された運動団体でした。
運動の中心を視覚障害者の雇用課題に絞り、交渉・学習活動等を積み重ねた結果、様々な形で成果をあげ、わが国の視覚障害者の職域・職場の拡大に大きく貢献してきました。
詳しくは、こちらをご覧ください。

雇用を進める会時代の記録(記念誌より)

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