「見える人が、アイマスクをして歩いてみる」ことは、目の見えない人の理解に繋がりません。
それどころか、最悪の誤解を生むだけです。
◆見える人が突然視覚を遮断された状況と、見えない状態で生活している人とはまるで違います。
「見えない人の理解」というと、「アイマスクをつけての歩行」を行っているところが多くあります。
「歩く」ということは、単に「足を交互に出す」という動作だけではありません。
見える人は、今歩いているところは歩道なのか車道との区別がない道なのか、どれだけの道幅があるのか、その道幅のどのあたりを歩いているのか、電柱やポールがどこにどんな間隔であるのか、どんな人がどの方向に何人ぐらいどんなスピードで歩いているのか、など大量の視覚情報を、気付かないままに入手して気付かないまま処理して歩いているのです。
つまり視覚情報をたよりにして、その他の情報は伝わってはいるもののあまり利用していない状況で歩いているのです。
それに対して目の見えない・見えにくい人は、視覚以外からの情報(*1)を有効利用しています。
ですので誘導者といっしょに歩くだけで多くの情報が得られ、障害は激減するのです。
人が外界から収集する情報の80%以上は視覚から得ると言われています。
人は必要な情報が十分に得られないと、不安を感じます。
座っていて動かないで安全な状況であるときでさえ、アイマスクをすると、今まで確認できていた周囲の状況が視覚から入らなくなるために「怖い」という感情が起こります。
まして、「歩く」ということは身体を移動させることであり、そのために通常は膨大な視覚情報を得て行っている動作ですから、突然視覚をふさいだ状態で「歩きましょう」と言われることは、とても怖くて当たり前です。一歩たりとも足を出せなくても当たり前です。
見えている人がアイマスクで視覚情報を遮断されるという慣れない環境の中で、今まで気にかけていない情報(*1)に気付き、それを瞬時に有効利用できることはまずありえないことです。
(*1)周囲の音(聴覚情報)や空気の動き(触覚情報)などの、見えない人が有効活用している視覚以外から得られる情報のこと
次のような感想が出るのも「アイマスク歩行」を簡単なものと考え、実施した結果と考えます。
ある小学校でのアイマスク歩行体験の感想より抜粋
○アイマスクをすると、隣で友達が誘導してくれていても、ちょっとしたエンジン音でも驚いてしまいます。
○目が見えないと、本当に怖かったです。 車にひかれそうだし転びそうだし。目が見えないということは、本当に恐いことだと思いました。
○目の前の何かにぶつかりそうな気がして、空中で手を動かして確認しないと前に進めませんでした。
○誘導するときには細かいところまで知らせなければならないので、思ったより大変でした。
言うならば、アイマスク歩行体験は
突然視覚をふさがれて怖がっている児童を、どう声かけして誘導したらいいかもよくわからない児童が、誘導する体験なのです。
誘導される人も誘導する人も、経験不足からくる不安の中で「怖い体験」をすることが、果たして「見えない・見えにくい人」の正しい理解につながるのでしょうか?
◆ なぜ、アイマスク体験はやってはいけないことなの?
★差別の助長につながる
「見えないと怖い」→「何もできない」→「見えない人はかわいそう」
そしてこの先には「自分は見えていてよかった」という気持ちから、見えない人への「哀れみの差別感」を呼び起こし、その差別を助長してしまいます。
感覚でとらえたことがだけが強く印象づけられる体験はやってはいけないことです。
特に、児童・生徒についてはなおさらです。
このような「見えないと怖くて何もできない」という体験だけをしたこどもが、万が一将来失明するようなことがあったとき、
「学校でアイマスク体験をしたときには怖くて何もできなかった。見えなくなった自分はもう何もできない。ずっと怖い世界にいるのだ。もう絶望だ!」
そして、もし、「見えていて良かった」とかつて思っていたとしたら、「見えなくなった自分」は「かわいそうな何もできない人」ということになり、
生きることに悲観的になってしまう可能性が高いです。
★障害の正しい理解に繋がらない
アイマスク体験は、困りごとの原因となる障害(バリア)が社会にあることには着目できず、身体機能の欠損に意識が向いてしまいます。
○「わからない」ことの原因を正しく理解することができない
例えば、慣れない駅では電車の乗り場がわかりません。
乗り場の案内板の情報は、どんな人に伝わりますか。目で見て伝わるようになっていませんか。
つまり、目の見える人にだけ伝わる仕組みがここにあるのです。
逆に言えば、目の見えない人には伝わらないのです。
伝わらないのですから、当然わかりません。
ここに見ること以外から伝わる仕組みが有ったらどうでしょうか。
「わからない」の原因は、「情報発信の仕方が見えるのが当たり前の考え方でされていること」にあるわけですが、
「アイマスク体験では視覚情報が遮断されている」という身体機能に着目しているので、「わからない原因」が社会にあることに気づけないのです。
「わからないのは見えないからだ」と、個人のからだの機能に結びつけてしまい、障害がどこにあるのかを見誤ってしまいます。
○「できない」ことの原因を正しく理解することができない
目の見える人は、常に目で見ている情報を利用して様々な動作をしています。
アイマスク体験は、常に見てやっていたことを突然「見ないでやってみましょう」ということです。
つまり「過去に一度もやったことのないことをやってみましょう」ということです。
果たして「はじめてやること」が円滑にできるものでしょうか。できなくて当たり前です。
「できない」の原因は、「今までやったことがない」という経験不足にあるのですが、
「アイマスク体験では視覚情報が遮断されている」という身体機能に着目しているので、「できない原因」が経験不足にあることに気づけないのです。
「できないのは見えないからだ」と、個人のからだの機能に結びつけてしまい、障害がどこにあるのかを見誤ってしまいます。
◆大人のアイマスク体験
★基本的には大人であってもアイマスク体験はおすすめしません
市民向けのボランティア入門講座などで、
目の見える受講者を二人一組にして、
一人はアイマスクをして視覚障害者役を、一人はその誘導をして、視覚障害者の誘導体験をしてみましょう、ということが行われることがあります。
このことにはとても危険な要素があります。
大人であっても「突然、視覚をふさがれた目の見える人」を視覚障害者の代わりとして誘導することは、間違った印象を残してしまうことになる可能性が極めて高いです。
アイマスクをした人は突然の視覚情報の遮断により、大人であっても「怖い」という感情が起こります。
ですから「見えないとこんなに怖いんだ、こんな怖い状況の人を私は誘導なんかできない、こんなたいへんなことは私にはできない」と、印象付けられる可能性が高いです。
せっかく「目の見えない人の障害を無くすボランティアとして活動してみたい」と集まってくれた人が誤解によりボランティア活動から離れてしまうことになりかねないのです。
ですから、ボランティア講座などの誘導体験では、日常的に視覚以外の情報に注意を向けて生活している見えない・見えにくい人を誘導する体験にしてください。
★社会のどこに障害があるのかを見つけ、解決の方法を考えるためのアイマスク体験
「今の社会には、どんな障害(バリア)があって目の見えない・見えにくい人が困ることになっているのか」に気づき、「その障害を取り除く方法」について考えるために、
感情を理性でコントロールできる大人の方が、「突然視覚をふさがれた感情に着目しない」という感情のコントロールをしたうえで、より十分な時間をかけてできるのであれば、視覚を使わないで生活する体験も有効なものだと考えられます。
これには十分な準備が必要です。
日常的に目の見えない人が社会とどう関わっているのか、どんなことが障害になっているのかについて、当事者から直接話を聞いて、十分に理解してから注意深く実施してください。