馬渡藤雄

かつて、視覚障害女性の花形職種であった電話交換手もダイヤルインサービスの普及により、最近急激に雇用の場が狭くなった。 神奈川県の電話交換手は、1969年日本ライトハウスが電話交換手の養成を始め、そこで訓練を受けた2名の女性が、1972年の重度障害児療育施設ゆうかり園と国立特殊教育総合研究所に採用されたのが最初である。

1977年雇用を進める会が結成され、県や横浜市、川崎市に視覚障害者の雇用促進を訴えたとき、視覚障害者の最適職種の一つに取り上げられたのは、電話交換手であった。
1980年県は、障害者特別枠採用制度を発足させ、まず電話交換手2名が採用された。以来、毎年2ないし3名が採用されたが、バブル崩壊で県財政が厳しくなった1992年以後は、毎年わずか1名の採用にとどまっている。

一方、横浜市は1982年障害者特別枠採用制度を発足させ、毎年2ないし3名、ピークの1983年には4名を採用した。しかし、1988年頃から区役所のダイヤルイン化がすすめられ、交換台が廃止されて電話交換手の配転、退職が相次いだ。現在は、各区役所に2名ずつ配置され案内、交換、庶務に当たっている。現在、横浜市の視覚障害電話交換手は、4名(全盲1名、弱視3名)のみとなってしまった。川崎市では、福祉センターの開設に伴い1975年と翌1976年に1名ずつが採用された。更に1981年に市立病院に1名が採用され、1984年にも市立井田病院に1名採用されたが1990年に退職したので、現在は3名だけである。

神奈川の視覚障害電話交換手は、県に27名、横浜市4名、川崎市3名、その他民間では横浜銀行、丸井、資生堂、東急ホテル等に雇用されているものを合わせると、総数約40名と思われる。

県が比較的回線の少ない地区行政センター、県立病院、保健所、県税事務所、土木事務所等に視覚障害電話交換手を配置していることは、いわゆる定着に大いに貢献していると評価できる。