沿革
1977年5月 | 神奈川県視覚障害者の雇用を進める会結成(4団体)会長 五十嵐光雄、副会長 中村紀久雄、事務局長 田中重幸 |
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同年6月 | 県民のいのちとくらしを守る共同行動委員会(略称「いのくら」)に加盟 |
同年同月 | 県議会請願 |
1978年 | 県下37市町村へアンケート調査実施 |
同年4月 | 県立老人保養所にマッサージ師2名採用 |
同年9月 | 第1回総決起集会を開催、デモ行進 |
同年10月 | 横浜市立戸塚図書館に1名採用 |
1979年4月 | 県児童相談所に福祉職1名採用 総合リハ事業団七沢病院に非常勤、はり・きゅう師1名採用 |
同年9月 | 全国視覚障害者雇用促進連絡会(略称「雇用連」)結成 |
同年10月 | 機関紙創刊号発行 |
1980年4月 | 県身体障害者特別枠採用制度発足(10年で3%雇用を目指す) 県立病院マッサージ師1名採用 県電話交換手2名採用 県更生相談所非常勤職員1名採用 |
1981年 | 国際障害者年はじまる |
同年2月 | 機関紙「視覚障害者に雇用の場を」第2号発行 |
同年4月 | 県特枠採用の年齢制限を26歳から28歳に引き上げ 視覚障害者技能習得援助資金貸付事業発足(月額3万円) 健康管理センターにヘルスキーパー1名採用 県電話交換手2名採用 ライトセンター職員1名採用(更生相談所から配転) 川崎市立病院電話交換手1名採用 |
同年12月 | 中村紀久雄氏逝去(享年41歳) |
1982年2月 | 学習会開催 |
同年4月 | 横浜市身体障害者特別枠採用制度発足(20年で4%雇用を目指す) 県一般事務職採用試験中級職に点字受験の全盲者1名が合格 労働部に配属 県電話交換手3名採用 県非常勤録音タイピスト1名採用 県立病院マッサージ師2名採用 県重度肢体障害者療護施設さがみ緑風園にマッサージ師1名採用 横浜市立特別養護老人ホーム非常勤マッサージ師1名 横浜市立大学病院作業員1名採用 横浜市電話交換手2名採用 |
同年5月 | 機関紙第3号(中村紀久雄氏追悼特集)発行 |
1983年4月 | 五十嵐光雄会長の勇退に伴い、新体制となる 新会長 神崎好喜、副会長 馬渡藤雄、事務局長 小泉茂夫 県特枠採用の年齢制限を28歳から30歳に引き上げ 技能習得援助資金が3万円から3万3千円に引き上げ 機関紙第4号発行 県婦人相談所に相談員1名採用 県電話交換手1名採用 ライトセンターに職員1名採用 横浜市立特別養護老人ホーム非常勤マッサージ師1名採用 横浜市電話交換手4名採用 |
1984年3月 | 県録音タイピスト常勤化なる |
同年4月 | 県電話交換手2名採用 県録音タイピスト1名採用(退職による後任補充) 総合リハ事業団神奈リハ病院に、はり・きゅう師1名採用 県雇用開発協会に事務職1名採用 横浜市立特別養護老人ホームケースワーカー1名採用 横浜市電話交換手3名採用 川崎市電話交換手1名採用 |
同年5月 | 機関紙第5号発行 |
1985年1月 | シンポジウム「中途視覚障害者の職場復帰」を開催 |
同年3月 | 学習会「三療開業者の実状」開催 |
同年4月 | 県一般事務職中級職に弱視者が拡大読書機で受験、合格採用 県電話交換手2名採用 県立養護学校非常勤ヘルスキーパー1名採用 横浜市児童相談所相談員1名採用 横浜市立学校用務員1名採用 |
同年5月 | 第10回定期総会開く |
同年7月 | 総合リハ事業団七沢ライトホームに指導員1名採用 |
同年10月 | 第2回総決起集会開催、デモ行進 |
同年11月 | 県下の視覚障害者就労実態調査を行い、総数63名と職種別就労者数が判明 |
1986年4月 | 技能習得援助資金が3万3千円から3万6千円に引き上げ 県電話交換手2名採用 総合リハ事業団七沢病院に、はり・きゅう師1名採用 横浜市電話交換手1名採用 横浜市一般事務職1名採用 |
同年5月 | 機関紙第6号発行 |
同年9月 | 雇用連との共催でシンポジウム開催 |
1987年3月 | 座談会「ヘルスキーパーは語る」開催 |
同年4月 | 県電話交換手2名採用 県一般事務職1名採用 横浜市一般事務職1名採用 川崎市一般事務職1名採用 |
同年5月 | 機関紙第7号発行 |
同年9月 | 結成10周年記念式典、レセプションおよび学習会「ヘルスキーパーの雇用促進のために」開催 |
1988年4月 | 県立養護学校ヘルスキーパー1名常勤化 県電話交換手1名採用 県一般事務職1名採用 県横須賀児童相談所非常勤相談員1名採用 県立小田原城東高校教員1名復職 横浜市立特別養護老人ホームに非常勤マッサージ師1名採用 川崎市清掃局に作業員1名採用 横浜綱島電報電話局、鎌倉電報電話局に各1名復職 |
同年5月 | 機関紙第8号発行 |
同年 | 横浜市港湾局に1名復職 |
1989年4月 | 技能習得援助資金が3万6千円から3万9千円に引き上げ 県横須賀児童相談所非常勤相談員が、県婦人相談所に配転常勤化 県電話交換手1名採用 ライトセンター職員1名採用 横浜市非常勤録音タイピスト1名採用 |
同年5月 | 機関紙第9号発行 |
1990年4月 | 県総務部に上級職1名採用 県電話交換手2名採用 県特養ホームマッサージ師派遣モデル事業開始マッサージ師1名採用 横浜市一般事務職1名採用 川崎市盲人図書館1名採用 |
1991年 | 県重度視覚障害者雇用促進プロジェクト事業始まる |
同年4月 | 県渉外部上級職1名採用 県文書課に録音タイピスト1名採用 県一般事務職1名採用 県電話交換手2名採用 |
1992年4月 | 技能習得援助資金が3万9千円から4万3千円に引き上げ 県電話交換手1名採用 県一般事務職1名採用 県立障害者施設にヘルスキーパー1名復職 伊勢原市事務職1名採用 二宮町事務職1名採用 |
同年9月 | 本会の主導的援助により、日本視覚障害ヘルスキーパー協会設立 結成15周年記念式典、レセプションおよびシンポジウム「ヘルスキーパーの将来像」を開催 |
1993年4月 | 県電話交換手1名採用 横浜市戸塚図書館1名採用 横浜市立盲学校技能員1名採用 川崎市高津区役所一般事務職1名採用 |
1994年4月 | 県電話交換手1名採用 横浜市総務部に非常勤ワープロ速記者1名採用 二宮町事務職1名復職 |
同年5月 | 県非常勤点訳指導員1名採用 |
同年7月 | 県婦人相談所福祉職1名採用 |
1995年4月 | 技能習得援助資金が4万3千円から4万5千円に引き上げ県電話交換手1名採用 特養老人ホームシャローム(横須賀市)非常勤ヘルスキーパー1名採用 |
1996年 | 技能習得援助資金に就労支度金が新設(最終貸付月に3千円加算) |
同年4月 | 県電話交換手1名採用 |
同年11月 | シンポジウム「視覚障害あはきの未来をひらく、どうするこれからのあはき」を開催 |
1997年4月 | 県電話交換手1名採用 県一般事務職1名採用 横浜市農地事務所一般事務職1名採用 横浜市立盲学校事務職1名復職 横浜市立養護老人ホーム非常勤マッサージ師2名採用 川崎市盲人図書館1名採用 |
同年5月 | 第23回総会にて、神崎好喜会長勇退に伴い、新体制となる 新会長 新城 直、副会長 神崎好喜・馬渡藤雄、事務局長 土屋仁志 機関紙第12号発行 |
同年12月6日 | 結成20周年記念式典、レセプションおよびシンポジウム「明日を切り開く視覚障害者」を開催 |
同年12月7日 | 職業、雇用問題で電話相談(予定) |