白杖使用者、盲導犬使用者、弱視者、晴眼者がともにてをつなぎ、にこやかにし ている。

 かつて人類は圧倒的多数の人と、機能・能力が違う人たちを特別視して、別の空間へと集め、一般社会とは隔離した空間においてのみ暮らすことを強いてきました。


しかし、それはおかしい。世の中にはいろいろな人がいて当たり前なのでみんなといっしょに暮らせる社会が正常な社会であって、別々に暮らしているというのは不正常(異常)な社会であるから、不正常な社会を正常化(普通の常態にする)ということでノーマライゼーションという言葉が使われはじめました。


心身機能が違う人を特別視するのではなく、一般社会の中で普通の生活が送れるような条件を整えるべきであり、共に生きる社会こそが正常(ノーマル)な社会であるという考え方です。

 北欧から世界へ広まった考え方で、デンマークのバンク・ミケルセンが、知的障害者の処遇に関して「ノーマライゼーションの理念」を唱えたのが最初です。
「高齢者障害者を排除する社会は弱くもろい社会である。むしろそのような人たちと暮らせる社会にすることが必要だ」と提唱されました。
つまり、いわゆる健常者だけに障害(バリア)がなく、便利で困らない社会ではなく、
どんな人にとっても(見えなくても、聞こえなくても、車いすを使っていても、考える力が弱くても etc.)
障害(バリア)がなく、便利で困らない社会が作られていくことが正常な社会なのです。

日本においては、1981年に国際障害者年があり、そのときを機会に盛んにノーマライゼーションと言われるようになってきました。
このときのスローガンが「障害者の完全参加と平等」です。
しかし、それから長い年月が経過していますが、減ってはきているものの、
○社会に障害が歴然とあり続けているのはなぜでしょうか。
○障害のある製品やサービスが新たに作られ続けているのはなぜでしょうか。
○特に人の差別意識の変化は遅々たるものではないでしょうか。
○なぜ、あちらこちらで「差別はいけない、人は平等」と言われ続けているのに、人の意識から差別や偏見が消えていかないのでしょうか。

それは、教育をはじめとして様々な施策や啓発活動が個人モデルでされていたことに起因すると考えられます。
社会モデルの視点で、からだの機能障害(impairment)は一人一人の違いの一部であり、人はみんな違いがあって当たり前であることを理解し、障害(disability)は多様な人たちの利用を想定しないで作られてしまう社会が作り出すもの と、障害と機能障害をはっきりと区別することで、社会から人の意識も含めた障害をなくすことができるのです。
このようなことで初めて真のノーマライゼーション 完全参加と平等が実現するのではないでしょうか。

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