白杖使用者、盲導犬使用者、弱視者、晴眼者がともに手をつなぎ、にこやかにし ている。その後ろには虹がかかっている。

この社会には、同じ人は誰一人いません。
性・年齢・障害の有無・身長・体重・聞き手・家庭環境など全て皆違います。
性別・国籍・年齢など、さまざまな違いがある人々が、それぞれが自立し、相互に支え合い、主体的に暮らしていける社会。
全ての人々が社会から阻害されることなく、人間として生きることが承認され、支援体制が確立されている社会。
これが共生社会です。

共生社会の構成員は、いわゆる生産活動に従事している(できる)年齢、身体状況、知的状況を有するとされる人々だけではありません。
あらゆる社会に起こる競争場面に打ち勝てる人だけではなく、どんな状況の人々も構成員です。
人は多様、みんなちがって当たり前なのだから、様々な人がいい、ともに生活していていいと、いう意識をその社会全体の構成員が持っていて、はじめて真の共生社会ができるのです。

このように「みんなちがって当たり前」という風土の真の共生社会に生活するということは、健常者にとっても安心して暮らせる社会です。
現在の健常者も永久に今の心身機能を維持できることはありません。
やがて老いは必ずやって来ます。もしかしたら、若いうちに事故や病気で機能障害が発症するかも知れません。

からだの機能に何かの不自由(機能障害)ができたら、劣った人になるのでしょうか。
個人モデルで考えていたならば、劣った者になるということですから絶望しかありません。

しかし真の共生社会においての障害は社会モデルです。
心身機能が不自由になったときにも堂々と主体的に生きていける社会に生きているのですから、健常なときにおいても将来の不安を抱かないで生きていける社会であり、安心して暮らせる社会といえます。

このように誰もが尊厳をもって堂々と暮らせる社会が共生社会なのです。

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